日本高齢者虐待防止センター電話相談

2012年3月4日日曜日

ライフワーク 日本高齢者虐待防止センター ニューズレター No22

JCPEA(日本高齢者虐待防止センター)ニューズレター 2012年3月号

ライフワーク

日本高齢者虐待防止センター 理事・事務局長 梶川 義人


私は、大学院で児童福祉を専攻していましたが、ひょんなことから老人ホームに就職することになりました。そして、介護職を経てソーシャルワーカーとなり、家族関係の調整などをするようになりました。

何年かたつと、自験例はかなり増え成功事例も経験できるようになりましたので、「少しは科学的な知見が得られるだろう」と考えて、当時、在宅サービスを利用していた高齢者と介護者の関係の分類を試みました。

参考にしたのは、子育てにおける親子関係の類型で、過干渉タイプ、放任タイプ、葛藤タイプなどに分けました。数百件あった事例のほとんどは、あまり悩まずに分類できたのですが、なかには「飛び抜けて酷い扱いだな」と思った事例がありました。そこで、児童虐待にならって、虐待タイプとして分類することにしました。多分、2〜3%の事例があてはまったと思います。これが、私の高齢者虐待を意識した最初のエピソードです。多分、1985年だったと記憶しています。

その後しばらくは、とりたてて高齢者虐待に関心を持つことなく過ごしていたある日、マスコミの報道により、旧友が介護殺人事件を引き起こしたことを知りました。子ども時代に親しくしていた友人であっただけに、ショックはとても大きいものでした。ほかの友人たちから詳しく事情を聞けたこともあり、「こうした痛ましいことを何とか防げる手立てはないのだろうか」と思い悩みました。これが、私が高齢者虐待に取り組むことになったきっかけです。私は、数日考え込んでから、高齢者処遇研究会のメンバーとなりました。2000年のことです。

それからまる11年、実にさまざまな出来事が起こりました。制度的には措置から介護保険制度に大転換しましたし、高齢者虐待に限ってみても、全国調査が行われたり、専門学会ができたり、高齢者虐待防止法ができたり。わがセンターも、法人化しましたし、いくつもの事業を行なってきました。

いわば大きな変化のうねりのなかを泳いできたのですが、私の最大の関心は、いつも対応困難事例の検討にありました。「こうした痛ましいことを…」の答えをみつけたいと願い続けてきたからです。そして、いつの頃からか、私は、旧友のような事件に対して、ある程度の答えを出せるようになりました。ですから、当初の課題を一応は達成したことになります。

しかし、対応困難事例の検討を通して、いろいろな人生の期し方行く先を思い合わせる経験を積むうちに、他にも沢山の難しい課題があることを思い知るようにもなりました。ひとつ課題を達成したら、さらに難しい課題がでてきて、ようやくその課題を達成したと思った途端に、また、もっと難しい課題がでてくる、といった具合です。おそらく、どこまでいってこの繰り返しで、きりはないのでしょうが、私は、いつしか、でてきた課題のすべてに、答えをみつけたいと思うようになりました。挑戦する心に火がついた、とでも言うのでしょうか。

こうして、高齢者虐待の防止への取り組みは、今や私のライフワークといっても過言ではなくなりました。