日本高齢者虐待防止センター電話相談

2012年1月5日木曜日

年頭にあたって―専門家としての覚悟と覚醒を期待する 日本高齢者虐待防止センター ニューズレター No21

JCPEA(日本高齢者虐待防止センター)ニューズレター 2012年1月号

年頭にあたって―専門家としての覚悟と覚醒を期待する

日本高齢者虐待防止センター理事 萩原 清子



昨年の我が国は未曽有の出来事がつぎつぎと起こったが、何といっても3月11日に発生した東日本大震災と原子力発電事故による大惨事は、学会・学者や科学に対するあり方に根本的な反省を促した画期的な出来事といえる。

「できるはずだと思っていたのに、なぜ東日本大震災のような巨大地震を予測できなかったのか」という問題をめぐって、「東北沖ではマグニチュード9以上は起こらないという思い込みがあった」と、多くの地震学者や学会から反省の声がしきりであった。「思いこみの原因」に、学会は学問的な相互批判が希薄で、「マグニチュード9以上だって起こりうる」という他の研究者の指摘に真摯に耳を貸さなかった日本地震学会の体質に問題があったとの指摘がある(朝日新聞 20011・12・11)。他方、原子力発電事故に関しては、原子力は安全だという「安全神話」が完全に崩れ、我が国の原子力政策は廃炉、停止、再開、新設をめぐって混迷が続いている。

さて、高齢者虐待の現状に目を向けると、平成22年度の厚生労働省調査報告による養護者による高齢者虐待判断件数は16,668件と過去最多となり、相談・通報件数も最多の25,315件で「最悪」と表現された。虐待で死亡した高齢者は無理心中を含め21人で、内訳は「養護者による被養護者の殺人」が10件10人、「養護者の介護放棄(ネグレクト)による被養護者の致死」6件6人、「心中」4件4人、「養護者の虐待(介護等放棄を除く)による被養護者の致死」1件1人であった。被害高齢者21人のうち、介護保険利用者は15人(71.4%)、利用していない高齢者は6人(28.6%)であった。

問題は、念願だった高齢者虐待防止法が施行されて5年、「防止法」に基づいて対応状況が厚労省によって毎年調査結果が5回報告され、介護保険は実施されてすでに11年を過ぎているにも関わらず、なぜ、毎年、高齢者虐待は防止されずに増え続けているのかである。

しかも、犯罪事件と見做される虐待による死亡高齢者は21人にも上り、そのうち7割以上の高齢者は介護保険を利用し、何らかの専門家や支援の網にかかっているのである。さらに、市町村で受け付けた養介護施設従事者等による虐待の相談・通報件数を見ても、22年度は前年度より98件増加して506件となっているのである。しかし、市町村が虐待の事実確認を行った事例のうち、事実が認められた事例は全体の18.1%、虐待の事実が認められなかった事例が38.7%、虐待かどうか「判断に至らなかった」事例が27.2%もあった。「防止法」第21条には施設従事者等が施設従事者等による虐待を発見した場合には、速やかに市町村に通報しなければならない、という義務規定を設けているのである。この数字を多いとみるか少ないとみるかは議論の分かれるところであるが。

このような我が国の高齢者虐待の現状をみると、「防止法」という法律ができ、虐待とは何かが定義されても、虐待かどうか不明、虐待ではなかった、といった相談・通報事例をどう捉えたらよいか。また、養護者支援が規定され、施設従事者も内部告発・通報が義務付けられ、専門家の役割や相談窓口が明確になり、地域の関連機関の連携が重要視されたとしても「定義」や「通報制度」、市町村の責務、専門家の役割等が十分に機能していないのではないか。このことが過去5回の厚労省調査結果から導き出された結論である。つまり、法律や制度、支援体制が整ったといっても、高齢者虐待の「防止」や「予防」にどれだけ実効性があっただろうか。各制度や支援体制が形だけに終わっているのではないだろうか。

私たちが経験した昨年の1年は、従来、大丈夫だと思ってきたことが覆された年である。その意味で、今こそ、学識経験者として、あるいは福祉の専門家としてこの教訓を生かさなければならない。各人がそれぞれの立場で専門家としての覚悟と覚醒が期待されている。

では、学識経験者として、福祉の専門家としての覚悟とは何か。それは、虐待を防止すること、すなわち「防止法」第一条の目的にある「高齢者の尊厳の保持」と「養護者の負担の軽減」を徹底的に図る覚悟である。そのためには、高齢者、養護者、関係職員が「個人の尊厳」をもった人間として生きていけるような社会や世の中を確保することに自覚的に、積極的に貢献していくことである。その流れに沿って、何があっても、高齢者と養護者の個人としての尊厳をまず守るという覚悟である。

もう一つ、昨年の出来事から、いわゆる「公務員ランナー」の生き方、走り方から学んだ点がある。今年はオリンピックの年として昨年来いろいろな話題があった中で、オリンピックイヤーの予選会で従来のやり方とは違う練習方法によって好タイムを出して注目された市民ランナー川内君の例である。川内君は埼玉県庁の職員として、実業団に所属しているわけではないため従来当たり前と思ってきた実業団選手の豊富な練習時間や練習環境とは違って、練習時間はフルタイムの仕事以外の制約された時間でモチベーションを高める練習方法をとっている。また治療やケアについてもトレーナーにつき、専門のメディカルな医師がついているわけではなく、小さなけがは温泉で何とかしてきたという。さらに、コーチがいるわけではなく、彼は一人で練習メニューを作って練習を重ねている。このような練習の方法やランナーとしてのやり方は、陸上界の常識とはかなり違うことをやっていると彼は思っている。

しかし、陸上界の常識に従うことで本当に結果が出るのかということを考えると、「やらされている練習」ではなくて、「好きでやっていること」と考え競技を続けていく方が、速くなるし、長続きするのではないかと彼は考え、練習の一環として全国各地のいろいろなレースで走りたいと考えている。このように、指導者にもつかず、出場レースも力を伸ばす場と考え昨年12月の福岡国際マラソンの2週間後にも42.195キロを走った彼は、「常識外れと言われたけど、周りが常識で限界を決めているだけ」と言っている。恵まれた環境で練習している実業団選手を退け、ロンドン五輪出場への期待をつなげた川内君の走りは一般ランナーに希望を与えた、という新聞投書があった。

川内君の練習方法や川内君のあり方は、単に現状の批判や否定ではなく、もっとよいものがあるのではないかという前向きなチャレンジのように思われる。昨年2月の東京マラソンでは日本人トップでゴールしその後のレースでも1,2位の結果を残した。彼から私たちが学ばなければならないことは、自分がどうあるべきか、どうありたいかを具体的な目標として定め、その目標を実現するための方法を仮説として立て、実践の中で検証をしていく。この繰り返しが人としての思想や実践を進化させ、社会を進歩させていくのではないか。

指示待ちになって手遅れになり、常識にがんじがらめになって言い訳や責任転嫁を考えるのではなく、常識との向き合い方を見直すことから始める事を川内君自身のあり方から覚醒させられた。

東日本大震災や原発事故を考えると、「もしも」を「想像力」で1000も2000もシミュレーションし、たくさんの「もしも」を思いつくことができたら私たちはもっと安全で豊かで幸せな社会を構築できるであろう。同様に、高齢者虐待の防止も学識経験者、福祉専門家の豊かであふれる想像力の覚醒が期待される。

2012.1.5